コミュニケーションの難しさ | 意識改造計画 ―本人願望―

コミュニケーションの難しさ

今日は言葉のキャッチボールについて語りたいと思います。
私は何でも言える人と言いたい事が言えない人がいる。
みんなそうだと思うんです。
相手によりますよね。最後まで何でも話を聞いてくれてから意見を述べてくれる人。もう、途中からガーーーって頭ごなしに意見を言ってくる人。話してる途中に、興味が無い素振りや言葉をかける人。もっと色々いると思う。
私は言葉のキャッチボールはもちろんコミュニケーションの1つだから、相手の気持ちや相手の性格をキャッチしてあげるのが必要だと思うんです。性格によっては、ガーって言われてしまうと、何も言えなくなり、もうその人との会話を恐怖と感じてしまい、次にその人と話す時に構えてしまうと思う。私がその一人なんですけどね(笑)。構えた状態で相手に物を伝えるというのは難しいんです。構えてしまうから、頭の中には「いつまた怒鳴られるか」「いつまたつまらない顔をされるか」とかいろんな妄想が暴走してしまって、言葉をうまく操れない。強く話す人というのは、どうしてそんなの自信があるのかなって思うんです。私も自信を持って、堂々と話したいって思うのですが、それはなかなか上達せず、構えてばかりになってしまう。
説明をするにしても、いつもの会話で『言葉が足りない』とか言われてしまうと、遠回りした言葉を多くする方法をとって、説明に入る。それはそれで、『何が言いたいのかサッパリ分からない』と言われる。うぅ~ん、本当に難しい。
何でも言える人というのは、最後まで何も考えずに話せるんです。途中、たまに妄想がよぎりますけど。だって、もう恐怖症になってますからね、言葉のキャッチボールってやつは。本当は私だって上手に話したいし、一度で説明を終わらせたい。けど、相手によっては、それが叶うことがないんです。
私はなるべく話してくれる相手に最後まで話をしてもらってから、話し始める。もし、言ってる意味が理解出来なかった時にどうするかって・・・。それは、少ない脳みそをフル活動*3くらいの勢いで回転させます。いろんな事を想像してその人が言いたい事を分かろうとするんです。そうすれば、相手は一度で話すのを済むし、相手は心地よくいられると思います。キャッチする努力なのです。
私が思うのは 『分かろうとする気持ち』『キャッチする努力』 をもっと養うべきではないのか!と思うわけで、それが言いたかった。よしっ。